MENU

初詣は清浄な空間に戻った頃に

今年も残すところ数日となりました。
年が明けると初詣に行かれる方が多いと思います。
ただ、これまでにもお伝えさせていただいている通り、いつでも神様がいてくださっている神社はわずか1社を残すのみとなり、
人によってお訪ねするとお逢いできる神様との繋がりを持った神社の数も月日を追って細っていく一方です。
2017年12月時点で神様との繋がりを維持されている神社は全体の35%にまで減ってしまっています。
これはもう65%の神社が誰が訪れようと、どのようにご祈願されようと、もうその場で神様とお逢いさせていただけることはないということを意味しています。
そのような状況にあるため、今年はご自宅や会社からお近くで神様と繋がりを残す神社を見つける“氏神様探し”のご依頼に数多く関わらせていただきました。
中には一番近くの神社でも、車で数十分走らなければお逢いできないぐらい遠くになってしまわれている方もいらっしゃいました。
1年後の2018年12月にはさらに少なくなって17%ほどになっていく見込みなので、来年以降は益々、神様との関わりは遠いものになってしまうことになりそうです。
神様がいらしゃらなくなるということは、神様が天上神界に去らなくてはならないほどのことがこれから我々のいる地上界に控えているということを意味していると思います。
それでも神様との関わりを持たせていただける可能性がわずかでもあるのであれば、少々遠かろうが、時間が多く掛かろうが、最後の最後まで、できる限りのやれることを尽くしていきたいと私は思っています。
また、そのような神様方のお力をいただけることでもない限り、今のままの個々人の力ではとても乗り越えられないような”大峠“がこれから数年の中には待ち構えているような気がしてなりません。
さて、初詣のことに戻りますが、個人的には正月三が日は神社にご挨拶にうかがわないようにしています。
理由は三が日はどこの神社にうかがっても普段と比べて境内がとても“汚れている”からです。
神道では曇り汚れることを“穢(けが)れ”と言います。
気が枯れるという意味の“気枯れ”を当てる場合もあります。
曇り汚れの原因はこの期間は人が多くいらっしゃっているということ、さらにその多くが“お願いの欲”を持ち込んでいるからです。
そもそも神社への参拝は、昔からお願い事をするのではなく、“感謝を捧げる“ことを旨とするように言われています。
お願い事をするなと言われるのには理由があります。
それは、神社にいらっしゃる神様方は人々のことを三百六十五日、二十四時間、片時も休まず見守り、必要な時は後押しをしてくださっています。
”親神様“と言われるように、親のように絶えず気を掛け、温かく見守り、絶えず応援してくださる存在に対して、さらにまだお願い事を重ねるのか、それはあまりに失礼な、恥ずかしいことだという考えがあるのです。
現代はいつのまにか神社はお願いの場に変わってしまい、特に人手の多い初詣は”欲の洪水、溜まり場“のような状態になっています。
欲は悪いものではないと私は思うのですが、そぐわないところ、そぐわない相手に強欲を出すとせっかくの持っているものまで気枯れて失うことになりかねません。
初詣はできれば、人混みの引いた後の清浄さを取り戻した時期に足を運び、心穏やかにゆったりとした気持ちで神様に向き合わさせてもらえるようにされると良いように思います。
また、本当の年明けは、節分の明けた2月4日の立春です。
この日かその折の“三が日”にはご挨拶にうかがわれることをおすすめします。
来年はかつてないほど自分自身と向き合わされる年になると思いますので、新たな一年の初詣をより大切なものになさって欲しいと思います。